2005/11/17

父から皆様へのお礼



「父の母への愛」という書庫を作り、私が勝手に載せた父の詩集。大勢の皆様から温かいお言葉をいただき、大変感謝しております。m(。・_・。)m

自宅にパソコンがない父は、知り合いを通じて皆様のコメントを読ませていただきました。お礼の文章をそのまま掲載します。↑ は父が描いた観音菩薩像です。母の状態が安静な時は、菩薩様の如く微笑みながら看病していたのでしょうか?

皆様へ

この度、私が妻への想いをつつ゛った介護の日々(いつか訪れるその日まで)を自費出版をしました。息子がブログで稚拙な作品でしたのに、載せてくれました(息子の意志で)。

これを見て感想を寄せて下さった皆様に心よりお礼を申し上げます。遠くは東欧や米国の方からと驚いています。文才のない私には人の心を打つような文章も書けませんが、介護の日々その時を気持ちのままを、まとめたものです。

見て下さった方々の中にも御家族の介護をなさっておられる方もと思います。息子も同じ境遇の方々へ応援する意味で、載せてくれたと思います。

どうぞ病める弱き人を、愛しき人の手を握ってあげて下さい。心の温もりが全身に伝わると思います。優しき人は心の灯りにと。ひとりひとりにコメント出来ませんのでお許しを。ありがとうございました。

露木 正弘


    
2005/10/08

いつか訪れるその日まで(最終回)



ふ~、ようやく父の母への想いをタイプし終えました。しめっぽい内容ばかりで御免なさい。「この本を出版した事によって、妻への想いに一区切り出来た」と電話で父は語っていました。あれだけ愛した母に一区切り出来る訳もないのに・・・・。

父の書き上げた本を読んで、自分がいかに幸せなのか痛感しました。私には不出来でも取り敢えず妻がいますし、一緒に笑ったり、泣いたりも出来ます。日常で当たり前の行為です。それがもう出来ない父を想うと胸が張り裂けそうになります。皆さんも愛する人を大切にして下さい。

次回からは通常どおり更新しますね。


    
2005/10/08

いつか訪れるその日まで(第二十四回)

   七十七忌(納骨)

  今日は納骨法要の日だ昨夜、娘と

  介護病床中外していたふたりの

  イニシャル入りの結婚指輪を骨壷に

  総て思いを込めて中に

  自宅より車で膝上の妻に両手を添えて

  穏やかに晴れ上がった空、途中では

  真白な花咲く梨園を見て

  田舎道に入り小さな里山竹林を

  抜けると 自然に囲まれた

  田園風景が視界に広がる

  田畑で働く人々が八重桜が咲く中

  水路では釣人の姿も点々と

  時折吹き通る心地良い風

  妻の田舎を思い出す 車窓より入る風はふたりを包むように

  そして総てが終わった去年八月に母を送り

  今また妻をみんな目の前から消えた

  さようなら面影を胸にして

  (平成十七年四月二十四日) 最終回へつづく


    
2005/10/08

いつか訪れるその日まで(第二十三回)

   別れ

  お棺にすがり

  逝ってはいやと哭く娘

  私の背に手をかけ

  お兄ちゃんと

  妹は声をつまらせ

  (平成十七年三月十一日) 第二十四回へつづく
 

    
2005/10/08

いつか訪れるその日まで(第二十二回)

   旅立ち 三月八日亡

  毎夜寝る際電話機を枕元に

  真夜中だったベルが鳴りナースの声が

  只今奥さまがお亡くなりになったと告げる

  清拭して着替えをとおちついて聞けた

  告知通りの急性心肺不全の突然死
  
  静寂の中光放つ街灯の群

  タクシーで一路高速道を駆けて

  霊安室に眠る姿に合掌

  白布の下に薄化粧した顔が

  まだ肌に温かさの残る胸に顔を埋め泪しふたりだけの別れを

  春風の中に漂う沈丁花の薫る我が家に

  共に過ごした三十八年の思い出を抱いて逝ってしまった

  四月には又結婚記念日と貴女の誕生日が来るのに

  (平成十七年三月) 第二十三回へつづく


    
2005/10/08

いつか訪れるその日まで(第二十一回)

   一粒の涙

  朝から時折 霧雨の降る日だった

  病室につき 一通りのケアを終えて

  ベットサイドに座り片手を握り
  
  もう一方の手で頬を撫でながら

  話しかけていた 三時間貴女は

  話せなくても分かっていたのですネ

  間もなく命の灯りが尽きそうと

  左の目尻より一粒の涙がポロリと

  お父さん長い間看護を有難う

  そしてさようならと弱り切った

  体力を絞り告げた涙だったと

  胸がつまり涙が まさか

  あの日が今生の別れになるとは

  又 面会に行こうとしたのに

  (平成十七年三月) 第二十二回へつづく


    
2005/10/08

いつか訪れるその日まで(第二十回)

   紫陽花

  茂ちゃん さっきは買い物に行ったけど

  今日はネ朝から小雨が降っているんだ

  通った植え込みの紫陽花が青赤紫ピンクと

  美しく青葉は雫をのせ生き生きと

  紫陽花もふたりで見に行ったネ

  鎌倉の名月院 北金谷の本土寺や

  千葉の安房天津の麻綿原へも

  二十万株もある紫陽花の小径を

  古刹清澄寺もあつかったネ七月だし

  お母さんの顔を見ていると

  何処かへ行こうと言っているよ

  さあ 冷たいジュースでも飲みますか

  私はホットコーヒーですよ

  今夜もミッドナイトに

  私を呼ぶのですか

  第二十一回へつづく


    
2005/10/08

いつか訪れるその日まで(第十九回)

   なき虫  

  二人三脚で歩んだ歳月

  大切な人が倒れた いくら手を尽くしても

  二度と立ち上がる事はできない

  いつの頃か知らぬ間に胸の奥深い隅になき虫が

  住みついていた 眠れぬ夜更けの枕元に

  愛しき人との 楽しかった日々が

  グラスを交わした止木で旅した新緑の野山

  紅葉の山々 白銀の世界など思い出が

  外で出会う妻と同年代の女性たちが

  楽しそうに歩く姿に 寝たきりの妻がダブル

  なき虫は声もださずに

  温かい涙の雫となり姿をみせる

  数々の想い出を包んで とめどなく

  大きな 雫が ポトリ ポトリと

  枕に浸みて なき虫は 消えてゆく

  いつしか 一緒に 眠りに落ちて

  第二十回へつづく


    
2005/10/08

いつか訪れるその日まで(第十八回)

   寝顔

  昼さがりの部屋 静かに時には高く

  白鳥の調べが流れる ベットサイドで

  手を握ってみる 病気にとは思えないように

  艶ややかで穏やかな寝顔を

  眺めていると目が覚めたらお父さんと

  呼びそうな気がする あの日みせた

  微笑みは 何を夢みていたのだろうと

  息子と ふたりで話したけど

  お母さんきっとみんなで一緒に

  楽しく遊んだ日の一コマを

  思い出しているんだねと

  眠りの中で見せてくれた

  二回のほほえみ

  もう二年も前の夏のことだ

  それが最後の贈り物となった

  第十九回へつづく


    
2005/10/08

いつか訪れるその日まで(第十七回)

  貴女に

  何もしてあげる

  ことができない

  ただ日々を看て

  あげることしか

  穏やかな顔で

  私を見ている時が

  お父さん

  ありがとう

  ごめんねと

  いいたげに
  
  第十八回へつづく


    

コスタリカの野鳥ガイド

在住17年目。プライベートでは、主に野生蘭のデータ収集(保護活動の手伝い)、撮影をしています。

10歳の息子(デビューは5歳)が撮影した野鳥、虫なども掲載しています。

12年ほど続けてきたヤフーブログから、引っ越して来ました。

健康上の理由で、以前のように長時間パソコンできなくなりました。ですからコメント欄は、閉じてあります。

リコー社(当時はペンタックス社)のポータル・サイトで執筆したコラム、「PURA VIDA!」のアドレスです。

http://www.ricoh-imaging.co.jp/japan/photo-life/archives/tsuyuki/